某年4月17日、東京都練馬区で産声を上げる。その後、父親の転勤で埼玉県浦和市(現在さいたま市)に引っ越す。地元 原山幼稚園に入学と同時にピ アノを習い始め、中学校1年生時には東京芸大の学生オーケストラをバックに、モーツァルトピアノコンチェルト23番を、東京文化会館で演奏。その後、父親 の会社が倒産し父は入院、母が働きに出ることになり、唯一の習い事であったピアノを断念。以後独学となる。
浦和明の星女子高等学校に進学。文化祭でミュージカルに触れ、歌うことが楽しいと感じる。しかし高校時代一度も、音大へ行こうと思ったことはなく、学校以外の時間は母親の代わりに家事に追われて一日が終わる・・・そんな毎日だった。
大学受験もままならずにいたところ、高校の1年先輩で、桐朋の声楽に行った先輩が「あなた、ピアノうまいんだから。今から桐朋受けてみなよ!」と、 まだ間に合いそうな短大の願書を送ってくれ、それから1週間、ひとりで「音大受験の為の猛練習」をし、信じられないことに「合格」。・・・ここから思いも 寄らない「音楽の道」に進むことになる。
ピアノ科の学生として秋庭津代子先生に師事、毎日の授業とレッスンは想像を超えた厳しさで、満員電車にのって通学に往復4時間・・・体力的にもきつ かった上、毎日8時間はピアノを練習するのが当たり前の友人達に圧倒される毎日。そんな時、副科の声楽の先生が、レッスン室に飛び込んでくるなり「笠原 君!どうする?!君・・・歌で卒業演奏会に選ばれてしまったよ!」・・・先生も私も、喜ぶより先に 「はあ・・・?どうしましょう?本当に人前で歌うので すか?」だった。それから声楽に転向し、研究科に進学。その時から二期会のプリマドンナ、佐藤輝子女史に師事を受けることになる。研究科の卒業演奏会に は、「夜の女王のアリア」で出演(この2年間で音域が1オクターブ広がる)。その後、埼玉オペラ ブリテン作曲「真夏の夜の夢」ハーミアでオペラデ ビュー。同時にテレビコマーシャルのお仕事を頂くようになる。その後新宿文化センターにてモーツァルト「魔笛」夜の女王役を演じ、オペラの世界へ入る。
色々なオペラ研究所への進学も検討するが、経済的な事情と、ピアノ科から声楽に変わって間もないため、レパートリーが不足していたこともあり受験を見送 る。その後、「魔笛」で共演した友人の勧めで、リリカ・イタリアナ・オペラプロフェッショナルコースでオペラレパートリーを習得。その後、レナート・パル ンボ指揮 ヴェルディ「椿姫」ヴィオレッタ役を演じ、パルンボ氏の勧めにより渡伊。サンタマルゲリータ声楽アカデミーオペラマスタークラスにて、イリス・ アダミ・コラデッティ女史、フランコ・コレッリ両氏に師事。演技をパオロ・トレヴィーズィ氏に師事。モンテベルーナ国際音楽祭、およびサンタマルゲリータ 音楽祭、マリオ・デル・モナコ国際コンクールファイナリストとして音楽祭出演。帰国後、出産、子育て、介護のため長期間活動を休止。
数年後復帰をし、数々のコンサートやテレビコマーシャル、オペレッタなど、無理のない形で演奏活動を再開する。1994年フランス音楽コンクール 第1位 受賞(全部門総合グランプリ)。その後、カザルスホールでの「グランプリ受賞演奏会」をはじめ、「第1回笠原由里 グランプリ受賞記念リサイタル」「第2 回笠原由里ソプラノリサイタル」を開催。また、「ホテル日航(お台場)チャペルコンサート」や、「さいたま市政令指定都市認定記念行事:笠原由里ソプラノ リサイタル」、「桐朋学園大学30周年記念演奏会」など、数々の演奏会に出演。久々のオペラ復帰は、新交響楽団 飯守泰次朗指揮 オペラ「ジークフリー ト」森の小鳥役(多田羅道夫さん、小濱妙美さんと共演。)その後、シティフィルワーグナーシリーズオペラ「ジークフリート」でも同じ役を演じる(飯守泰次 朗指揮、高島勲演出)。また、「マリア・カラス・フェア」にてミラノスカラ座アンサンブルとの共演をする他、コカコーラボトラーズ主催のファミリーオペラ にも10年間出演。
また、活動休止期間に執筆した歌曲集「愛・信じること」、音楽劇「赤い靴」「青い目の人形」の楽譜も出版され、アテネギリシアオリンピック記念オペ ラ「ラビュリントス」(安藤由布樹指揮:十川稔演出=世界初演)では脚本執筆および主役アリアドネを演じた。他に、東京都葛飾区立新小岩学園(小中一貫教育の学園歌の作詞、長野県須坂市の「須坂讃歌」の作詞、オペラ「杉原千敏」の脚本報筆など、執筆作品も好評を得ている。また最近では、演奏家仲間との共同企画の一部要として、オペラ歌手だけでなく、管楽器、弦楽器、ピアニストなど全ての演奏家により、観客と舞台が一体となった演奏会を展開中。
徹底的な食事療法を施し、病を完全に克服した経験から、健康面、精神面のカウンセラーとしても活動中。心理カウンセラー・メンタルトレーナー。食育セラピストとしての顔を持ち、専門的なスキルを身につけながら“言葉と歌と食べ物で必ず幸せになる方法”を開拓。
近年、「新南田」に姓が変わり、舞台での活動は「新南田ゆり」として活動を開始。「これからがやっと歌に専念できる時・・・」と、新しいオペラのレパートリーを次々開拓中。